28区の協議会が発足し、成果が生まれ始めた。山里区のハナは涙ながらに感謝する。しかし数週間後、新聞の一面に「住民自治の美名の下で税金食い物」。裏切ったのは、ハナの息子だった。信じることの代償。
※この物語は政策エンタメのメソッドによって書かれたフィクションです。
第4章・信じることの代償
あれから三か月。
雪国市では、二十八の地域協議会が正式に発足した。
田村慎一は、市民参画推進課のデスクに山積みの書類を前に、次々と電話を取っていた。
「はい、山里区の協議会ですね。議事録、こちらで確認します」
「ええ、桜町区の補助金申請も通りました。次の会議で報告してください」
市内各地では、住民が集まり、自分たちの手で予算を話し合う光景が見られた。
古い公民館のストーブの前で、除雪の優先路線を地図にマーカーで塗り分ける老人たち。
子育て支援を議題に、若い母親が発言する姿。
田村は、その写真を何枚も壁に貼った。
――夢が、現実になり始めていた。
三月、最初の成果報告会。
田村は壇上で、笑顔を見せていた。
「山里区では、住民による除雪ルートの見直しでコストが半分になりました」
「北浜区では、高齢者見守り制度を協議会が立ち上げ、孤独死ゼロを達成しました」
拍手が起きる。
鬼頭誠二もその席にいた。腕を組み、無表情のまま資料を眺めている。
田村が目を向けると、鬼頭はわずかに頷いた。
それは、初めて見せた“肯定”のしるしだった。
報告会の後、田村は山里区の協議会委員・ハナに声をかけられた。
白髪を束ねた小柄な老婆。しわだらけの手を差し出し、田村の手を握る。
「田村さん、ありがとうございます。この制度のおかげで、うちの村は救われました」
ハナは、目に涙を浮かべながら言った。
「息子が市内で働けるようになったんです。除雪がちゃんとできるようになったから、通勤できるって」
田村は微笑んだ。
「それは良かったですね」
「ええ、本当にありがとう。あんたの制度は、間違ってなかった」
田村は、心から笑った。
――やはり、住民を信じて良かった。
しかし、数週間後。
一本の電話が、その笑顔を凍らせた。
「田村さん……桜町区の件、聞きましたか?」
若い職員の声が震えていた。
「何の話だ?」
「地域予算三百万円、協議会委員長の親族企業に発注していたそうです」
田村の手からペンが落ちた。
「まさか……」
翌朝、新聞の一面に見出しが踊った。
『住民自治の美名の下で税金食い物』
紙面には、委員長の顔写真、そして「地域自治区制度の信頼揺らぐ」の文字。
田村の名も、小さく添えられていた。
写真を見た瞬間、田村は息をのんだ。
そこに写っていたのは、山里区のハナの息子だった。
昼過ぎ。鬼頭が田村のデスクに現れた。
新聞を折りたたみ、無言で置く。
「……ほら見ろ」
その声は冷たくも、どこか痛みを帯びていた。
「二十八の協議会を作れば、こうなる。性善説では行政は動かんと、何度言った」
田村は顔を上げられなかった。
「……わかっています」
「君の理想は、現実の泥の中で沈む。俺も昔、そうやって沈んだ。
理想を信じて、数字を無視した結果、三百人の職員を切る羽目になった。
君は、あのときの俺を繰り返してる」
鬼頭はそれだけ言うと、背を向けた。
廊下の奥に消えるその背中に、田村は何も返せなかった。
夜。
市役所の会議室にひとり残った田村は、壁の二十八枚の地図を見つめていた。
その中で、桜町区だけが赤く塗られている。
「……俺は間違っていたのか?」
声が震えた。
雪解けの風が窓を鳴らした。
机の上の新聞がひらりとめくれる。
その裏には、山里区の報告記事が載っていた。
「住民主体の除雪活動、全国から注目」
田村は手で紙面を押さえ、目を閉じた。
――一つの失敗が、すべてを否定するのか?
それとも、まだ続ける価値があるのか?
答えは出なかった。
夜十時過ぎ。
鬼頭は自室の窓から街を見下ろしていた。
遠く、桜町区の明かりが消えていく。
あの街のどこかで、田村が同じ空を見ている気がした。
「……信じることは、罰にもなる」
鬼頭はそう呟き、カーテンを閉じた。
雪国市の夜に、ゆっくりと冷たい雨が降り始めていた。
だが、代償も残った。
