深夜3時、鬼頭部長は10年前の新聞記事を見つめる。300人のリストラ、泣く部下、押した判子。「性善説では行政は動かない」――過去の痛みを背負った男と、理想を信じる田村の対立が深まる。
※この物語は政策エンタメのメソッドによって書かれたフィクションです。
第2章・鬼頭の条件
深夜三時。
鬼頭誠二は、自宅の書斎にいた。
外は、しんしんと雪が降っている。
窓辺に置かれた電気スタンドの光が、机の上の書類を淡く照らしていた。
引き出しを開けると、古びた新聞の束。
一枚を抜き取り、見出しに目を落とす。
「旧高田市、財政危機。職員給与カット」
あれは十年前。
鬼頭は当時、財政課長としてリストラ計画を立てた。
対象は三百人。
市民センターの職員、清掃業務の委託職員、図書館の司書――。
その中には、鬼頭の大学時代の後輩もいた。
「課長、俺を切るんですか?
二十年、一緒に働いたじゃないですか」
後輩は泣いていた。
だが、鬼頭は目を逸らした。
「すまん……」
あの日から、鬼頭は後輩と会っていない。
「すみません、課長……俺には、家族がいるんです」
泣きながら懇願する若い部下の顔が、今も脳裏に焼きついている。
だが、鬼頭は判を押した。
数字を優先した。その決断がなければ、市は崩壊していた。
だが、あのとき消えた三百の暮らしは、どこへ行ったのか。
鬼頭はそっと新聞をたたみ、ため息をついた。
「理想で街は守れん。俺は、それを知ってる」
それが、彼の正義だった。
同じ時刻。
雪国市役所六階。
田村慎一は、白紙のメモに数字を書き込み続けていた。
午前四時。
コーヒーは冷め、指先はかじかんでいる。
――どこかに、まだ道があるはずだ。
電卓を叩きながら、田村は「合併特例債」の資料をめくった。
――除雪車を特例債で買えば、市の現金が三百万浮く。
その浮いた金を、協議会の運営費に回せる。
だがそれは、借金を先送りにするということだ。
通常、返済は十五年後から始まる。
その間、表向きの負担は見えない。
「……だが、五年後に皺寄せが来る」
つぶやきながら、田村の目に光が宿る。
それは、危険な選択だった。
未来への“先送り”。
しかし、今を乗り切らなければ、未来そのものが消える。
「……やるしかない」
赤ペンで数字を記入する。収支は、ようやくゼロになった。
夜明けの青い光が、会議室に差し込む。
午前九時。
議会控室の奥。
灰皿の煙が、ゆっくりとたなびいていた。
田村は、議会の重鎮・森川義昭議員と向かい合っていた。
雪国市合併協議会の副議長。
地元商工会のドンでもある。
「田村くん、君の理想は分かる。だがね――」
森川は煙草を指に挟み、紫煙をくゆらせた。
「私の選挙区の工場労働者は、朝六時に家を出る。その道が雪で埋まってたら、会社に行けない。彼らは『参加』なんて言葉より、『除雪』という現実を求めてるんだ」
田村は息をのんだ。
この一票がなければ、制度は通らない。
「……森川先生、一つ提案があります」
「ほう?」
「協議会の第一号事業に、先生の選挙区の除雪体制強化を盛り込みます」
「除雪体制?」
「はい。地域協議会が住民の手で路線を優先順位付けすれば、効率を二倍にできます。住民参加での除雪――それをモデルに」
森川の目が、細くなった。
「……それが本当なら、考えてもいい」
「必ず、結果を出します」
田村は頭を下げた。
その瞬間、胸の奥がわずかに疼いた。
――理想を、取引した。
田村は、父の顔を思い浮かべた。
「お前は、住民の声を届けるために、この仕事を選んだんだろう?」
父なら、そう言うだろう。
だが、今の田村は、議員との取引で票を買っている。
――今は、これしか道がない。
許してくれ。
夕刻。
鬼頭は、市役所の廊下を歩いていた。
ガラス越しに見える雪空。
その奥の会議室では、田村が資料を並べている。
鬼頭は立ち止まり、静かに呟いた。
「数字に勝てるものが、あるなら……見せてみろ」
外では、再び雪が降り始めていた。
合併協議会の運命を決める一日が、
今、始まろうとしていた。
――これが、理想を通すための値段なのか。
