第一部:絶望
1000人の会場で質問に立つ小林。「実現可能か?」の問いに返ってきたのは厳しい現実。だが、フォーラム終了後、4人の専門家が歩み寄る。「我々欲チーム」結成。孤独な闘いから、本当の闘いへ。第一部完結。
※この物語は政策エンタメのメソッドによって書かれたフィクションです。
第5章:孤独な闘い
2025年11月20日午後1時30分、東京国際フォーラム。
ステージに、4人の登壇者が座っていた。
左から、神山健二教授、桜井美咲、結城剛、高瀬麗子議員。
司会者が、マイクを持った。
「それでは、パネルディスカッションを始めます」
小林拓也は、最前列に座っていた。
ノートを開き、ペンを構える。
「逃すな……一言も」
司会者: 「まず、神山教授。地方創生において、行動経済学はどう役立つのでしょうか?」
神山教授: 「はい。人間の意思決定プロセスには、体系的なバイアスが存在します」
教授は、眼鏡を直した。
「例えば、『減税10万円』と『給付金3万円』。経済合理性の観点からは前者が優位ですが、実証研究では後者の選好率が有意に高い」
会場が、ざわついた。
神山教授は、続けた。
「これは、損失回避性と獲得効用の非対称性に起因します」
「カーネマンとトヴェルスキーのプロスペクト理論ですね」
「つまり、人間は『損失を回避する』という消極的便益よりも、『何かを獲得する』という積極的便益に、より強い効用を感じるわけです」
小林は、メモを取った。
プロスペクト理論:
- 減税(失うはずだったお金が減る)< 給付金(もらえる)
- 人間は獲得の喜びに強く反応する
- 損失回避性と獲得効用の非対称性
「これだ……」
小林は、呟いた。
司会者: 「桜井さん、自治体の財政再建において、最も重要なことは何でしょうか?」
桜井美咲: 「データ。数字」
桜井は、きっぱりと言った。
「感情論は要らない。理想も要らない。必要なのは、定量的なエビデンスだけ」
「横浜野市の財務局長時代、私が徹底したのは費用対効果分析です」
「投入1円あたりのアウトカム。ROI。これをすべての事業で可視化した」
「結果、3年で200億円の歳出削減に成功しました」
小林は、メモを取った。
費用対効果:
- 投入1円 → アウトカム測定
- ROI(投資対効果)
- 定量的エビデンス
「大河内部長が言ってたのは、これか……」
司会者: 「結城さん、都市と地方の連携について、どうお考えですか?」
結城剛: 「ハッキリ言うけど、今のやり方じゃダメだね」
結城は、ラフな口調で言った。
「ふるさと納税?悪くないよ。でも、善意頼みじゃ続かない」
「しかも返礼品競争がエスカレートして、本末転倒になってる」
「俺が経営者として思うのは、都市と地方がwin-winになる『ビジネスモデル』が必要だってこと」
「一過性の寄付じゃなくて、持続可能な収益構造をね」
小林は、身を乗り出した。
「そうだ……そうなんだ」
メモを取る。
持続可能なビジネスモデル:
- 善意頼みじゃない
- win-winの収益構造
- 一過性じゃない
司会者: 「高瀬議員、政治の立場から、地方創生の課題は何でしょうか?」
高瀬麗子: 「財源です」
高瀬議員は、真剣な表情で言った。
「地方交付税は、年間約19兆円。しかし、これでも足りません」
「国の財政は逼迫しています。消費税増税は、国民の理解が得られない」
「だからこそ、既存の財源を最適配分する政策イノベーションが求められています」
「私たち政治家の責任は、理想を語ることではなく、実現可能な制度を設計することです」
小林は、メモを取った。
財源の課題:
- 地方交付税19兆円でも不足
- 増税は困難
- 既存財源の最適配分
- 政策イノベーション
「俺の構想……まさに、これじゃないか」
午後3時。
パネルディスカッションが終わった。
会場から、拍手。
小林も、拍手をした。
しかし、頭の中は別のことで一杯だった。
「この人たちに……話を聞いてもらいたい」
司会者: 「それでは、休憩を挟んで、午後3時30分から質疑応答に移ります」
「ご質問のある方は、挙手をお願いします」
小林は、決意した。
「質問する」
「この機会を、逃すわけにはいかない」
午後3時30分。
質疑応答が始まった。
会場の数人が、手を挙げた。
司会者が、一人を指名する。
「はい、前から3列目の方」
質問者A(地方自治体の職員): 「ふるさと納税の返礼品競争について、どう思われますか?」
桜井: 「経費率50%超は異常。費用対効果が完全に破綻してる」
「制度の抜本的見直しが必要」
次の質問者が、指名される。
質問者B(大学生): 「地方に移住を促進するには、どうすればいいですか?」
結城: 「簡単だよ。カネになる仕事があるかどうか、それだけ」
「企業誘致とリモートワーク。この2つしかない」
小林は、手を挙げた。
しかし、指名されない。
別の質問者が、次々と指名される。
小林は、焦った。
「くそ……」
午後4時。
質疑応答が、終わりに近づいていた。
司会者: 「それでは、最後にもう一人だけ」
小林は、必死に手を挙げた。
「お願いします……」
司会者の目が、小林に向いた。
「はい、最前列の方」
小林の心臓が、跳ねた。
「やった……!」
小林は、立ち上がった。
マイクが、手渡される。
「夕焼市から来ました、小林拓也と申します」
声が、会場に響く。
「私の故郷、夕焼市は、財政破綻から18年。人口6,000人、高齢化率54%です」
会場が、静まり返った。
小林は、続けた。
「地方交付税も、ふるさと納税も、頑張ってます。でも……足りません」
小林は、資料を取り出した。
「私は、一つの構想を考えました」
「自治体財政リーグ構想、です」
「スポーツリーグのように、自治体を財政力でランク分けして……」
司会者が、遮った。
「申し訳ありませんが、質問を簡潔にお願いします」
小林は、慌てた。
「あ、はい。すみません」
「質問は……」
小林は、登壇者を見た。
「湊戸区や千谷田区のような豊かな自治体が、税収の一部を地方に送る」
「メジャーリーグの贅沢税のように」
「こういう制度は、実現可能でしょうか?」
会場が、ざわついた。
登壇者たちも、顔を見合わせた。
神山教授が、口を開いた。
「……興味深いアプローチですね」
小林の目が、輝いた。
神山教授は、続けた。
「ただし、制度設計上の課題が複数存在します」
「第一に、インセンティブ設計。湊戸区住民の同意をいかに獲得するか」
「第二に、法的整合性。現行の地方税法・交付税法との整合をどう図るか」
「第三に、パフォーマンス測定。支援の効果をどう定量評価するか」
桜井が、口を開いた。
「数字を見せて」
簡潔に言った。
「費用対効果。地方交付税削減額。住民同意率の予測値」
「これら定量データがなければ、議論の俎上にすら載らない」
小林は、言葉に詰まった。
「それは……まだ、試算中で……」
結城が、口を開いた。
「アイデアとしちゃ面白いよ。でもさ、現実は甘くない」
「湊戸区の経営者仲間に話したら、9割が反対するね。間違いなく」
「『なんで俺らの税金を地方に送るんだ?』って」
高瀬議員が、口を開いた。
「立法技術的にも、相当なハードルがあります」
「地方税法、地方交付税法、場合によっては憲法解釈まで絡む」
「与野党の合意形成も、極めて困難でしょう」
「ただし……」
高瀬議員は、小林を見た。
「諦めないでください。この国には、新しい挑戦が必要です」
小林は、頷いた。
「はい……」
司会者が、マイクを取り上げた。
「ありがとうございました。それでは、これで質疑応答を終わります」
小林は、座った。
会場から、拍手。
しかし、小林の心は、重かった。
「やっぱり……無理なのか」
午後5時。
フォーラムが終了した。
参加者たちが、ロビーに出てくる。
小林は、一人、椅子に座っていた。
「せっかく東京まで来たのに……」
小林は、頭を抱えた。
「結局、何も変わらない」
その時。
背後から、声がした。
「小林さん」
小林は、振り返った。
神山健二教授が、立っていた。
「え……?」
小林は、立ち上がった。
神山教授は、微笑んだ。
「さきほどの質問、理論的には十分成立し得ます」
「本当ですか?」
小林の目が、輝いた。
神山教授は、頷いた。
「行動経済学の知見を適用すれば、住民の同意獲得は可能です」
「ただし、インセンティブ構造の精緻な設計が前提条件になります」
「設計……?」
小林は、聞いた。
神山教授は、名刺を差し出した。
「一度、私の研究室で詳細を伺いたい」
「理論モデルの構築を、お手伝いできるかもしれません」
小林は、名刺を受け取った。
神山健二 東日本大学経済学部教授
「本当ですか!?」
小林は、声を上げた。
別の声が聞こえた。
「私も、やるわよ」
振り返ると、桜井美咲が立っていた。
「財政シミュレーション。数字で検証してあげる」
小林は、言葉を失った。
桜井は、名刺を差し出した。
「ただし条件がある。データを完璧に揃えること」
「中途半端な数字は、時間の無駄。私は忙しいの」
さらに、別の声。
「俺も混ぜてくれよ」
結城剛が、歩いてきた。
「湊戸区の経営者として、住民を口説く方法を一緒に考えたい」
「ビジネスの現場で培ったノウハウ、使えると思うぜ」
小林は、三人を見た。
「本当に……協力してくれるんですか?」
神山教授が、頷いた。
「ええ。ただし、本気でコミットする覚悟があるならば、ですが」
小林は、深く頭を下げた。
「お願いします!」
「本気です。この街を、絶対に救いたいんです」
桜井が、腕を組んだ。
「分かった。じゃあ、次のミーティングはいつ?」
結城が、スマートフォンを取り出した。
「来週土曜、どうだ?俺のオフィスに来いよ。湊戸区だけど」
神山教授が、頷いた。
「承知しました。それまでに、小林さんは構想の具体化を」
「理論フレームワークと、初期データセットの準備をお願いします」
「はい!」
小林は、力強く答えた。
その時。
もう一人、近づいてきた。
高瀬麗子議員。
「私も、参加させてください」
小林は、驚いた。
「議員が……ですか?」
高瀬議員は、頷いた。
「私、青森の小さな町出身なんです」
「人口5,000人。夕焼市と同じような状況です」
「だから……小林さんの思い、理解できます」
高瀬議員は、真剣な表情で言った。
「もし、この構想が制度として成立したら、国会で法案化を推進します」
「政治の力で、必ず実現させましょう」
小林は、涙が出そうになった。
「ありがとうございます……」
声が、震えた。
結城が、小林の肩を叩いた。
「よし、チーム結成だな」
神山教授が、考えた。
「チーム名称は……『リーグ・プロジェクト』、とでもしましょうか」
桜井が、首を振った。
「地味。もっとインパクトのある名前がいい」
結城が、笑った。
「じゃあさ、小林くんの構想の核心は何だ?」
小林は、答えた。
「我欲を捨てて、我々欲で……」
結城が、膝を叩いた。
「それだ!『我々欲チーム』でいこうぜ」
神山教授が、頷いた。
「我々欲……興味深いネーミングですね。利己から利他へのパラダイムシフトを象徴している」
桜井も、頷いた。
「悪くない。覚えやすい」
高瀬議員が、手を差し出した。
「我々欲チーム、始動ですね」
小林も、手を重ねた。
神山教授も。
桜井も。
結城も。
五人の手が、重なった。
小林は、思った。
「一人じゃない……」
「もう、一人じゃない」
午後6時。
小林は、会場を後にした。
東京の夜景が、キラキラと光っている。
小林は、スマートフォンを取り出した。
倉田市長に電話する。
「もしもし、倉田さん」
「おお、小林くん。どうだった?」
小林は、微笑んだ。
「良かったです。協力してくれる人たちが、見つかりました」
「本当か!?」
倉田の声が、明るくなった。
「はい。大学教授、元財務局長、経営者、それに国会議員も」
「すごいじゃないか!」
小林は、夜空を見上げた。
「倉田さん、これから忙しくなります」
「データを作って、シミュレーションして、制度を設計して……」
「でも……やります」
「頼むぞ、小林くん」
倉田の声が、震えていた。
「この街の、最後の希望だ」
小林は、頷いた。
「任せてください」
電話を切る。
小林は、歩き始めた。
東京の街を。
人混みの中を。
「これから、本当の闘いが始まる」
小林は、呟いた。
「でも……もう、一人じゃない」
小林は、鞄の中のノートパソコンを確認した。
「自治体財政リーグ構想」のファイル。
「これを、完成させる」
「必ず」
その夜。
小林は、夕焼市への飛行機に乗った。
窓から、東京の夜景が見える。
無数の光。
「この光の一つ一つが、人の生活だ」
「そして……」
小林は、窓の外を見た。
「夕焼市にも、光がある」
「少ないけど、確かにある」
「その光を、消すわけにはいかない」
飛行機が、離陸した。
東京の光が、遠ざかっていく。
小林は、目を閉じた。
「父さん……見ててくれ」
「俺、絶対に諦めない」
第1部 完
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