第二部:創造
クリスマスイブの奇跡。減税1.8万円より給付3万円を62%が選ぶ理由——プロスペクト理論。提示順序を変えるだけで賛成率16ポイント上昇。初頭効果、社会的証明、同一視バイアス。行動経済学が生み出す「3万円の魔法」。
※この物語は政策エンタメのメソッドによって書かれたフィクションです。
第8章:3万円の魔法
2025年12月24日午後2時、東京・湊戸区。
クリスマスイブ。
街は、イルミネーションで彩られている。
カップルたちが、腕を組んで歩いている。
しかし、結城剛のオフィスでは——
5人が、会議室に集まっていた。
「メリークリスマス、って言っていいのかな、この状況」
結城が、苦笑した。
桜井が、冷たく答えた。
「くだらない。時間の無駄」
神山教授が、微笑んだ。
「まあまあ。クリスマスの奇跡、期待しましょう」
小林拓也は、緊張していた。
今日の議題は、「住民説得戦略」。
神山教授が、行動経済学を駆使した最終提案を持ってくる。
「これが、最後のピースだ……」
小林は、呟いた。
高瀬麗子議員が、口を開いた。
「始める前に、報告があります」
「総務省と財務省にヒアリングしてきました」
4人が、高瀬議員を見た。
「反応は?」
結城が、聞いた。
高瀬議員は、資料を配った。
「総務省の大河内部長は、『データ次第』と」
「財務省は、『地方交付税が削減できるなら、検討する』と」
小林の目が、輝いた。
「本当ですか?」
高瀬議員が、頷いた。
「ただし、条件がある」
「第一に、住民の同意率70%以上」
「第二に、財政シミュレーションの精緻化」
「第三に、モデル事業での実証」
桜井が、頷いた。
「想定内ね。じゃあ、今日の会議でそれを詰めましょう」
神山教授が、立ち上がった。
「それでは、私から発表します」
スライド1:前提条件
湊戸区の平均的な住民:
・年収:600万円
・住民税:約60万円(年間)
現行制度:
・住民税:60万円
・手取り:540万円
提案A:減税3%
・住民税:58.2万円(▲1.8万円)
・手取り:541.8万円
提案B:マイナポイント3万円
・住民税:60万円(変わらず)
・マイナポイント:+3万円
・実質手取り:543万円
結城が、質問した。
「提案Bの方が、1.2万円得じゃん」
神山教授が、頷いた。
「その通り。しかし、重要なのは金額ではありません」
「心理的な受け止め方です」
スライド2:心理実験の結果
被験者:1,000名(湊戸区在住)
質問:
「次の2つのうち、どちらを選びますか?」
A:住民税が1.8万円安くなる
B:3万円分のマイナポイントがもらえる
結果:
A:38%
B:62%
なぜBが選ばれるのか?
→ プロスペクト理論
小林が、メモを取った。
神山教授が、続けた。
「人間は、『損失を避ける』よりも『何かを得る』ことに、より強い効用を感じます」
「減税は、『失うはずだったお金が減る』という消極的な便益」
「給付金は、『もらえる』という積極的な便益」
「この違いが、選択を大きく左右するんです」
スライド3:カーネマンとトヴェルスキーの実験
【実験1】
A:確実に1万円もらえる
B:50%の確率で2万円もらえる、50%の確率で0円
結果:84%がAを選択
【実験2】
A:確実に1万円失う
B:50%の確率で2万円失う、50%の確率で0円
結果:69%がBを選択
人間は、利得に対してはリスク回避的
損失に対してはリスク選好的
桜井が、質問した。
「で、3万円という金額の根拠は?」
神山教授が、次のスライドを開いた。
スライド4:最適金額の検証
被験者:2,000名
質問:
「住民税はそのままで、マイナポイントがもらえます。
いくらなら、地方支援に賛成しますか?」
結果:
・1万円:賛成率45%
・2万円:賛成率58%
・3万円:賛成率68%
・4万円:賛成率72%
・5万円:賛成率74%
費用対効果:
・3万円:賛成率68%、費用2,500億円
・5万円:賛成率74%、費用4,200億円
→ 3万円が最適解
結城が、頷いた。
「なるほどな。5万円にしても6%しか上がらないのに、費用は1.7倍か」
神山教授が、頷いた。
「そうです。限界効用が逓減しています」
「コストパフォーマンスでは、3万円が最適です」
小林が、感動していた。
「すごい……完璧に計算されてる」
桜井が、質問した。
「で、この3万円。財源は?」
桜井が、自分のノートパソコンを開いた。
「私が計算した結果を発表するわ」
プロジェクターに映し出される。
スライド5:財源シミュレーション(湊戸区のケース)
【現行制度】
湊戸区の税収:4,000億円
地方交付税:0円(不交付団体)
国の負担:0円
【新制度:減税3%方式】
湊戸区の税収:3,880億円(▲120億円)
地方交付税:7.5億円(交付団体に転落)
国の負担:+7.5億円
D2リーグへの支援:75億円
(減税分の残り:120億円▲45億円=75億円)
【新制度:マイナポイント3万円方式】
湊戸区の税収:4,000億円(変わらず)
D2リーグへの支援:240億円
マイナポイント:15万人×3万円=45億円
地方交付税削減:▲15億円
国の負担:
・マイナポイント:+45億円
・地方交付税削減:▲15億円
・純負担:+30億円
しかし、D2リーグ全体の地方交付税削減:▲100億円
→ 国全体では▲70億円の財政改善
結城が、口笛を吹いた。
「マイナポイント方式の方が、支援額が3倍以上かよ」
「240億円 vs 75億円」
桜井が、頷いた。
「そう。しかも、国の財政も改善する」
「win-win-winの構造」
神山教授が、補足した。
「さらに、マイナポイントには副次的効果があります」
スライド6:マイナポイントの副次的効果
1. マイナンバーカードの普及促進
→ デジタル行政の推進
2. 地域経済の活性化
→ マイナポイントを地域で使う
3. 支援の可視化
→ 「ポイントをもらった」という実感
4. 政治的アピール
→ 「国民に直接給付した」という実績
高瀬議員が、目を輝かせた。
「これ、政治的に非常に強い」
「『国民に3万円配った』って言えますから」
神山教授が、頷いた。
「その通りです。政治家にとっても、メリットが大きい」
小林が、質問した。
「でも……湊戸区の住民は、本当に納得するんでしょうか?」
「3万円もらっても、『自分の税金が地方に送られる』って知ったら……」
神山教授が、微笑んだ。
「そこで、フレーミングが重要になります」
スライド7:フレーミング戦略
【悪いフレーミング】
「あなたの税金の一部を、地方に送ります」
→ 反発が大きい
→ 「自分の金を取られる」感覚
【良いフレーミング】
「あなたに3万円のマイナポイントを差し上げます。
その代わり、湊戸区が地方を支援します」
→ 受け入れられやすい
→ 「もらえる」感覚が先に来る
結城が、頷いた。
「順番が大事なんだな」
神山教授が、頷いた。
「はい。人間は、最初に提示された情報に強く影響されます」
「これを、『初頭効果』と言います」
スライド8:初頭効果の実験
被験者:500名
パターンA:
「湊戸区が地方に240億円を支援します。
その代わり、あなたに3万円のマイナポイントを差し上げます」
→ 賛成率:52%
パターンB:
「あなたに3万円のマイナポイントを差し上げます。
その代わり、湊戸区が地方に240億円を支援します」
→ 賛成率:68%
16ポイントの差!
小林が、メモを取った。
「提示順序を変えるだけで、16ポイントも……」
桜井が、頷いた。
「言葉の力ね」
神山教授が、続けた。
「さらに、もう一つの戦略があります」
「社会的証明です」
スライド9:社会的証明
人間は、他者の行動に影響されやすい
例:
「あなたの隣人の70%が賛成しています」
この情報を提示することで、
賛成率がさらに5〜10ポイント上昇する。
結城が、質問した。
「じゃあ、最初は反対派が多かったらどうすんの?」
神山教授が、答えた。
「スモールスタートです」
「まず、賛成しそうな層(若年層、高学歴層、社会貢献意識が高い層)に集中的にアプローチ」
「彼らの賛成を得てから、『すでに○○%が賛成』という情報を広く伝える」
「これで、雪だるま式に賛成が増えます」
高瀬議員が、頷いた。
「選挙の戦略と同じですね」
神山教授が、微笑んだ。
「その通りです」
桜井が、時計を見た。
「4時ね。次、結城さんの報告」
結城が、立ち上がった。
「OK。俺からは、湊戸区長との面談結果を報告する」
結城が、資料を配った。
「先週、武藤区長と2時間会ってきた」
「最初は懐疑的だったけど、データを見せたら興味を持ってくれた」
結城の報告:
武藤区長のコメント:
「面白い構想だ。ただし、区議会の承認が必要」
「区議会は50名。過半数の26名の賛成が必要」
「現状、賛成派は15名程度」
「あと11名を説得しないといけない」
課題:
・保守派議員の反発
・「湊戸区ファースト」派の存在
・財政負担への懸念
小林が、不安そうに聞いた。
「11名……説得できますか?」
結城が、頷いた。
「できる。俺に任せろ」
「経営者仲間と一緒に、議員を一人ずつ口説く」
「データと、住民の声があれば、必ず落とせる」
高瀬議員が、補足した。
「私も、国会議員として区議会にアプローチします」
「『国も注目してる』って言えば、プレッシャーになりますから」
神山教授が、質問した。
「区民への説明会は、いつ開催しますか?」
結城が、答えた。
「来年1月中旬を予定してる」
「まず、区議会の賛成を取り付けてから」
桜井が、質問した。
「説明会の資料は?」
神山教授が、答えた。
「私が作ります」
「行動経済学に基づいた、最適なプレゼンテーション資料を」
小林が、質問した。
「あの……夕焼市からも、誰か来た方がいいですか?」
結城が、頷いた。
「倉田市長とか……」
「絶対だ」
「顔の見える関係が大事」
「湊戸区の住民に、『この人たちを支援したい』って思わせないと」
神山教授が、補足した。
「そうです。抽象的な『地方』ではなく、具体的な『夕焼市の倉田市長』」
「人間は、具体的な人物に共感します」
「これを、『同一視バイアス』と言います」
小林が、メモを取った。
説明会の戦略:
– 神山教授のプレゼン資料
– 夕焼市の倉田市長が登壇
– 顔の見える関係を作る
– 同一視バイアスを活用
「分かりました。倉田さんに連絡します」
桜井が、ホワイトボードに書いた。
【今後のスケジュール】
12月末:
・区議会への根回し(結城、高瀬議員)
・説明会資料の作成(神山教授)
・財政シミュレーションの最終版(桜井)
1月10日:
・区議会での提案
1月20日:
・区民説明会(第1回)
2月:
・区民説明会(第2回、第3回)
・住民投票 or アンケート
3月:
・モデル事業の正式決定
神山教授が、プロジェクターを操作した。
5人が、ホワイトボードを見た。
結城が、言った。
「3ヶ月か……早いな」
桜井が、頷いた。
「スピード勝負よ。ダラダラやってたら、モメンタムが失われる」
高瀬議員が、立ち上がった。
「それでは、今年最後の会議はこれで終わりです」
「みなさん、良いお年を」
神山教授が、微笑んだ。
「来年は、我々欲元年ですね」
5人が、笑った。
握手を交わす。
「来年も、よろしくお願いします」
午後6時。
小林は、会議室を出た。
外は、もう真っ暗。
クリスマスのイルミネーションが、街を彩っている。
小林は、スマートフォンで倉田市長に電話した。
「もしもし、倉田さん」
「おお、小林くん。どうだった?」
「良い報告があります」
小林は、今日の会議の内容を説明した。
3万円のマイナポイント。
フレーミング戦略。
湊戸区長の興味。
1月の説明会。
「すごいじゃないか!」
倉田の声が、弾んでいた。
「で、俺も行くのか?」
「はい。1月の説明会で、倉田さんに夕焼市の現状を話してほしいんです」
「分かった。任せろ」
倉田の声が、震えていた。
「この18年間……ずっと待ってた」
「この街に、希望が戻る日を」
小林は、涙が出そうになった。
「もう少しです。もう少しで……」
「ああ。頼むぞ、小林くん」
電話が、切れた。
小林は、夜空を見上げた。
星が、輝いている。
「父さん……見ててくれ」
「クリスマスの奇跡、起こすから」
小林は、駅に向かった。
今日は、夕焼市に帰らない。
明日、倉田市長と一緒に資料を作る。
都内のホテルに泊まる。
その夜。
小林は、ホテルの部屋で資料を作っていた。
夕焼市の写真。
財政データ。
住民の声。
「湊戸区の人たちに、伝えないと」
「この街の現実を」
「この街の魅力を」
「この街の希望を」
小林は、キーボードを叩き続けた。
窓の外、東京の夜景が広がっている。
「3万円の魔法……」
小林は、呟いた。
「これで、日本が変わる」
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