※この物語はフィクションです。
「レールの影」第十章 始発の刻
東京へ向かう始発新幹線。迫る危機を前に、高田は自らの罪を背負って決断を迫られる。
午前四時。大阪駅のホームは、まだ夜と朝の境目に揺れていた。
始発を待つわずかな乗客が並び、清掃員の作業音が響く。
日常の風景にしか見えないその空間に、しかし佐伯たち鉄道警察隊は異常な緊張を抱えて立っていた。
「情報は確かか」
佐伯の問いに、無線越しの声が応える。
「解析は一致しています。影の指揮者が狙っているのは、この始発便です」
三浦は唇を引き結び、ホームを歩く人影を一人一人確認していく。
しかし、敵の姿は見えない。彼らは群衆の中に溶け込み、姿を晒さずに攻撃を仕掛ける。
高田は別のホームから状況を見守っていた。手首には再び手錠がかけられている。だが隊員の一人が耳元で言った。
「さっきの働きがなければ、環状線は今ごろ大惨事だ。隊長もあんたをただの囚人とは見てねえ」
高田は苦笑を返す。
「でも俺は、ただのスリだ」
その時、無線がざわめいた。
「新大阪側の信号系統に異常! 侵入反応あり!」
佐伯は即座に指示を飛ばす。
「非常ブレーキ信号を送れ! 構内全域、緊急停止!」
しかし応答は冷たかった。
「反応しません! 外部からコマンドがブロックされています!」
ホームの空気が凍った。始発便は、既に滑るようにレールへ入線してきている。
その速度は制御下にあるはずだった。だがもし今、ポイントや信号が操作されれば――。
三浦が叫んだ。
「USB!あのデータに解除コードがあるはず!」
視線が一斉に高田へ集まった。彼は短く舌打ちし、隊員の手からUSBを受け取った。
「こいつをどうする。俺に任せんのか?」
佐伯はためらわず答えた。
「やれ。お前しか知らない道がある」
高田は手錠を外され、ノートPCにUSBを差し込んだ。画面に赤い警告が踊る。
《Unauthorized Access》
《Override Command Required》
「ちっ……」
高田の額に汗がにじむ。盗みの勘でファイルを漁り、奥に隠されたコードを見つけ出す。
文字列を入力するたび、画面の警告が一つずつ消えていった。
「残り十秒で信号が強制切替されます!」
解析員の叫びが響く。
高田は最後のキーを叩き、エンターを押した。
画面が一瞬暗転し、次に現れたのは緑色の表示だった。
《Manual Override Accepted》
その瞬間、構内全域に非常ブレーキ信号が送られ、始発便は耳を裂くような悲鳴をあげて減速を始めた。
ホームにいた人々が揺れ、驚きと安堵の混じった叫び声が上がる。
佐伯は深く息を吐き、銃を握る手をゆっくり下ろした。
「……止まった」
だが安堵は長く続かなかった。
無線に、新たな声が割り込んできたのだ。
「素晴らしい。だが君たちは一つ忘れている」
それは低く抑えた、しかし奇妙に明瞭な声。
影の指揮者の声だった。
「列車を止めても、人の心までは止められない。恐怖は既に拡散した。次はどこだと思う?」
通信は途切れた。
残されたのは、止まった新幹線と、なお揺らぎ続ける都市の鼓動だった。
【次回予告】
「レールの影」第十一章 広がる波紋
東京・名古屋でも相次ぐ通報。大阪を超えて広がる影の波紋が、全国を揺るがそうとしていた。
登場人物
佐伯涼介(35)
鉄道警察隊の巡査部長。冷静で論理的。家族を顧みず仕事に没頭してきた。
三浦真帆(28)
新人隊員。正義感が強いが経験不足。佐伯に反発しつつ尊敬もしている。
高田健吾(45)
老練なスリ師。かつては刑務所暮らし、今は仲間を率いる。だが「なぜか高リスクなターゲットばかり狙う」違和感。
イブラヒム(32)
外国人労働者。真面目に働いていたが、祖国の紛争で家族を失い、日本で過激派の片棒を担がされる。